折々の記 16

山燃える

 

山が燃えている。

黄緑色に燃えている。

新緑が燃えている。

気がつけば5月。

ゴールデンウイークは幸いにも好天に恵まれ、太陽の光を受けた山々は新しい命の萌える山肌を眩しく見上げる我々に惜しげもなく披露してくれている。

人間を含め、生き物たちが活発に動き始めるこの季節、あらゆるものからのエネルギーの放出を肌で感じ取ることができる。

季節は巡り、再び活動期に入ったのだ。

かくいう私も先月の中頃より何かと用事が増え、ブログと向き合うゆとりが無くなっていた。

言い訳がましくなるのは承知の上で言わせてもらうと、4月末と5月3日にそれぞれ異なる法話の依頼があり、その原稿に頭を悩ませていたのである。

ひと段落がついたところでやっとこれに向き合う気持ちのゆとりが生まれた。

さて、その忙しい最中に、私は一冊の本に出合った。

その冒頭部分にこの様な一文がある。

「どの花も競い合っている。どの花も成功を求めている。けっして、何気なく咲いているわけではない。

 だからこそ、花は美しいのだ。」 (稲垣栄洋著「花は自分を誰ともくらべない」)

この本の主人公は「花」である。

しかし、「花」を「人間」に置き換えてみても、この言葉の言わんとするところにピタリとあてはまる。

残念ながら、人間は花のように「ただ一途」に咲こうとしてはいない。様々な悩みや打算といったものを含みながら咲こうとしているのである。

だからこそたどる道はくねくねと曲がり、時にはUターンすることさえもある。

この時期は新入生や新社会人にとって、ふと自分を見失う時である。

そんな時は先の一文を思い浮かべ、今一度自分の初心を思い出してほしい。

今の自分は輝けているか?

今の自分は美しいか?

山肌を黄緑色が燃えている。

それは濃く深い緑色の中にあって、新しい若葉が古い緑を押しのけて輝こうとしている姿である。

古い緑の仲間になりつつある私も、せめて気持ちだけは燃え上がる黄緑色でありたいと切に願っている。