折々の記72

今年の彼岸花

この9月は近年の厳しい残暑に比べて随分と気温が低い。

個人的には大変有難いのであるが、何と言っても雨が多いためというのでは嬉しさも半分である。

そんな中、9月20日からお彼岸が始まり、26日に結願となった。

本山に括られはしたが、何とか乗り越えることが出来たのも、やはり残暑が厳しくなかったせいであろう。

さて、彼岸の時期にまるで教えられたように咲く赤い花と言えば曼殊沙華(彼岸花)であろう。

昨年は彼岸が明けてからようやく咲き始めるというくらいに、残暑が厳しく疲れ果てたものであったが、今年は思いのほか正確に彼岸花は咲きだしたのである。

そして今年の特徴は、花の数が大変多いという事。ひとつの花の集落に5~6本といったところが普通なのに、今年に限ってはその4~5倍に当たるほどの本数が畦道のあちらこちらに咲き誇っているのである。

これも温暖化の影響?

その田んぼのあぜ道に草刈り機を使って伸びている雑草を刈っていく農家の方がいらっしゃった。

「これも結構な重労働だな。」

そう思いながら犬を連れて散歩をしていると、きれいに雑草が刈り取られた畦道を見つけた。

よく見るとその畦道には、きれいに咲き誇る彼岸花が集落を造っているではないか。

周りの雑草がきれいに刈り取られているにもかかわらず、彼岸花だけが刈り取られずに残っている。

そこに私は草刈りをした方の優しさを見た思いがした。

花咲けば 葉も捨てられぬ 鬼アザミ

この優しさをすべての人が持てたなら、きっと世界は平和になるのにな・・・

そんなことを思ってしまった今日この頃なのである。

 

 

 

 

 

 

折々の記 71

今朝の出来事

 

今日は珍しく息子が帰ってくるという。

気分的にゆとりが持てたので、久しぶりに我が家の飼い犬カイ君の散歩に出かけた。

最近カイ君は肥満気味だと聞いていたが、確かに以前よりは散歩中の休憩が増えたように思える。

息の仕方も「ハアハア・・・。」

・・・少し辛いのかな?

なんて思ってしまう。

「これでは折角の四国犬のスタイルが崩れてしまう。」

少し危機感を持って散歩時間を増やし、餌の量も減らしていかないと・・・

などと考えながら散歩も終盤に差し掛かったところで、一人の檀家さんがすれ違いざまに、「和尚、お腹がだいぶ出てきたんとちゃう?」

・・・そう、私も犬の事を言っている場合ではない。

本山に行くようになってから、日常の運動量が大幅に減り、代わってお昼ご飯をしっかり食べるようになってからというもの、じわりじわりと体重が増え始め、今では立派なお腹に成長しました。

なんと4キロのアップ!

お腹周りに霜降りお肉がくっついて何とも醜い体形になっているではないですか。

あと二ヶ月!

二ヶ月したら本山役職を退任し、お寺に戻っていつもの生活に戻るんだ!

そうしたら、作務をしっかりやって、運動もして、ウォーキングして、お腹がバキバキに割れるほどの体にするんだ!

しかし、ワインも飲みたい、美味しい料理も食べたい。

煩悩との駆け引きが年末に向けてヒートアップ。夏を越してもこちらの残暑はいよいよこれから暑くなりそうです。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 70

地蔵盆での出来事

自坊の地蔵盆は毎年8月23日の夜7時から勤めている。

今年は曜日周りが日曜となったので、次男が朝から帰ってきて準備を手伝ってくれた。

残暑が厳しい中、地蔵堂の中を大掃除して飾りつけをするのであるが、これも午前中が勝負!

朝の少しでも気温が低いうちに終わらないと、こちらが熱中症になってしまう。

と・・・ここで少し嬉しい事が・・・息子が彼女を連れて帰ってきたのである。

彼女もお休みの日に手伝ってくれるのだという。

少し申し訳ない気持ちと、息子が選んだ女性がこれからお寺に入ってやって行ってくれるのか?・・・期待に満ちた思いが交差する。

私としては何も言うことはない。

ただ、二人がうまくいってくれればそれで良いのだ。

先方もかなり緊張の中にあったようであるが、こちらとしては家内共々第一印象は120点満点である。逆に息子がこの先捨てられはせぬかと心配になったほど。

そんな訳で、今年の地蔵盆はお地蔵様が息子に素敵なプリンセスを連れて来て下さったのである。

子育てもいよいよ最終コーナーを曲がり最後の直線に入ろうとしている。

何とも嬉しくもあり、ほんのちょっと淋しさを感じる今日この頃。

それもまた人生なのかもしれない。

 

 

 

 

 

 

折々の記 69

お盆が往く

今年もお盆が過ぎていく。

これを書いているのは8月21日。

明日明後日と地蔵盆があり、これが終われば一連のお盆の行事が終了する。

いつもであるならこの後は家族で旅行に行くはずなのだが、今年も私は一人置いてけぼりになってしまう。それどころか一泊二日の旅行ですら行けないという、今年は悲惨なお盆明けとなるようである。

私はどれ程しんどい仕事があろうと、目の前に人参がぶら下がっていれば走れる人間である。これさえ済ませればバカンスが待っていると思えばこその頑張りなのである。

この夏が終わって、充電が出来なければ私は仕事から逃避行をしてしまうかも・・・

などと馬鹿なことは言わないで、今やらなければいけないことにともかく集中して、この秋のお役御免の日をただひたすら待とうと思う。

「私待つわ~」byあみん

さて、早起きが私の日課なのだが、近ごろ夜明けが遅くなってきたことに気が付く。

午前4時に起きるのが日課の私にとって、5時前から本堂においてお勤めをしていると、障子を通して夜がしらじらと開けてきていることに気付く。

それが、最近は勤行が終わってもまだ薄暗いのである。

季節はやはり少しずつ移り替わっているのである。8月が終わればもうすぐにお彼岸。

昼と夜が同じ長さになる時期だ。

日暮れが早くなり、少し寒さが感じられる頃にはきっと私も本山から離れ、元の一住職に戻っていることと思うが、願わくば心穏やかに日々を送っていますように、ただそれだけを祈っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 68

ああ安居

7月24日から本山において「夏安居(げあんご)」という修行が始まっている。

僧侶としての修行の入門編ともいうべきものがこの夏安居である。

下は小学6年生から上は60歳を越した方と、幅は広いがともかく僧侶としてはまだ最初の一歩を踏み出した者ばかりがこの修行に入っている。

その姿を見ていると、若かりし頃の自分の修行時代を思い出し、何とも言えない気持ちになってくるものである。

もっともその頃の私はお寺を継ぐ気持ちは欠片もなく、毎日が嫌で嫌で仕方がなかったのを覚えている。

・・・まさかそれが寺の住職となり、本山で部長などをやっているのだから人生は不思議である。

さて話を戻すが、私の頃と今の安居ではその修行そのものの環境があまりにも大きく変わってしまっているのである。

私が修行した40年ほど前と現在では、大きく二つの点で異なりを見せている。

まず一つは寝泊まりする部屋の違いである。

昔は今にも潰れそうな長屋の狭い部屋に、それこそゴロ寝状態で寝ていたのを思い出す。夏なのにクーラーはなく、扇風機が一台、すぐ隣はお墓なので、昼間でさえ蚊がブンブン飛んでおり、網戸にして寝ているのだが、網戸には大きな穴がいくつも開いており、いくらでも蚊は入り込んでくる。

まあ、蚊取り線香があるので少しはしのげるのであるが、一番難儀をしたのは「ダニ」。・・・修行に入る前に、長屋において二回ほどバルサンを焚いてくれてはいるのであるが、たかが二度ほどのバルサンでは本山のタフでしぶといダニは全滅してくれるはずはなく、寝ている間に体中何か所も刺され続けるのである。

眠りは浅く、勤行の最中に何度意識を失いかけた事か。睡眠不足に汗だくの体、これほどの不健康な暮らしは二度と経験したくないと心からそう思ったものである。

対して現在は、クーラーの効いた健康的、衛生的な部屋で、ダニに刺される心配もなく安眠できるのである。・・・なんと幸せな事であるか!

二つ目は本堂内の過酷な状態である。

昨今の温暖化の影響から、夏の気温は猛暑から酷暑と呼ばれるようになり、朝の勤行はまだしも日中、夕時の勤行に至っては所化(修行僧)の熱中症に気を配らねばならず、これは大変気を遣うものである。

経机の横に水筒を置くように指導したり、アイスノンを配ったりと、本当にこれで修行と言えるのか?・・・そんな疑問すら覚えるのである。

しかし、大切な跡継ぎの方々をお預かりしている以上、本人の不注意による事故は別として、やはり本山には責任がある。

こうして、様々な問題を抱えながら今どきの修行は今日も行われているのである。

この歳になって、つくづく「もうこんな修行は御免だ!」・・・ホントそう思う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 67

N君復活

先週の土曜日、久しぶりにN君を含む学生時代の仲間たちで食事会を行った。

今年の3月にN君は心臓バイパス手術を行い、無事に成功したのだが、その直後に血栓が脳内に詰まってしまい、いわゆる脳梗塞を起こして生死の狭間をさ迷っていたのである。

入院中で発見が早かったお陰で、無事生還したのだが、先生からは危篤状態だと家族に告げられていたらしい。

何とも危険な状態だったことには違いない。

ただ、彼の持ち前の悪運の強さが幸いしたのか、はたまた寿命があったのか、後遺症もなく復活をしてくれたのである。

これを仲間たちが喜ばないはずはなく、「快気祝いだ!」などと言って梅田で食事会を行った。

彼は流石に応物の出身だけあり、入院から退院の日までの経験を克明にノートに記述していた。

その中には脳梗塞を起こして意識不明の間に見た夢や、脳が錯覚を起こして時間の順番を間違えていたりしたことなどを書き留めていたのである。

その話を聞いて感じるのは、人間の脳というものは何とも精密機械であるという事である。

現在起っていることを過去に認識したものと思い込んだり、過去の出来事を現在進行形に感じたり、まあ現在ではもちろん快癒しているのだが・・・。

不思議な話を沢山聞かせてもらった後、確認したのは「お花畑や三途の川は見えたのか?」という事。

彼曰く、「全然見なかった。」そうである。

しかし、N君が言った言葉、「昨年亡くなったA君がこの世に引き戻してくれたのかなあ・・・。」には、その場のみんなが「そうかもしれないな。」と答えたのである。

大学では工学部の応用物理学科で最先端の勉強をしてきた仲間たちが、口をそろえてそんな回答を出したことに私は少なからず驚いてしまった。

「この世にはまだ科学では説明できないことが沢山ある。」・・・それが60歳半ばにしてたどり着いた理系学生たちの一つの答えなのだとしたら、何と面白い事だろう!

人生というやつは、合理的な回答を模索してきた者たちに、不合理な、最もそんなことは認めたくない回答を口にさせたのである。

つまり、人生の終盤に至り、この世は非論理的な回答こそが正解なのだと人生経験が教えてくれたのだ。

私は理系から文系のそれも仏教という宗教の世界に入り、180度方向を変えた人間であるだけに、彼らの言葉を嬉しくも、また「そうだろう、うんうん!」と納得しながら聞いていたのだ。まだまだこれからも人生という奴は続いていくだろうが、これから先私を含む仲間たちの考えがどの様に変化していくのか、私は興味が尽きないでいるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 66

神仏霊場会

先日、5月28日のお話。

関西の大きな神社仏閣で構成される「神仏霊場会」というものが有ります。

勿論御朱印巡りの、すべてクリアするのに130社寺以上という、結構大変なものです。

その神仏霊場会は、年に一度持ち回りで、平和祈願祭というものを行っています。

今年は京都の八坂神社が会場で、午後からは総会が行われました。

一応、私も幹事の一人として参加させていただいたのですが、お越しになられる方々は、そうそうたる方ばかり、その中に入れてもらっても良いのかと少し気恥しくなるくらいでした。

さて、祈願祭の後、お昼ご飯を頂いたのですが、そういった方々の中に交じってお話をしながら頂くご飯はどこに入って行ってるのか良く解らないくらいでした。

ただ、お話をしている間に、誰もが緊張しながら来ておられるのだと気が付き、みんな同じ思いなのかと少しホッとしました。

そうなると、少しでも知り合いを増やしておこうと、持っていた名刺が無くなるまで、顔合わせさせていただきました。

お陰様で、東大寺の執事長さまや、上賀茂神社の宮司様、生田神社の宮司様などお話させていただき、一度お訪ねさせていただきますと約束をして帰ってきました。

色々な方々と知己を得るという事は本当に有難いことです。

この役職におかせていただいていることは、緊張や気遣いも多いですが、こんな有難いこともあるのだと、感謝している今日この頃です。