折々の記 15

桜咲き 桜散る

 

今年の桜は開花が遅れた。

例年なら3月の彼岸明けには開花し、3月末には満開を迎える。

今年はその3月の末に開花し、4月の7日頃に満開を迎えた。

私のお寺の前は桜並木があり、また池を挟んだ小さな公園にも何本かの桜が植えられており、この土日はそこそこの人出があり、にぎやかな声が響いていた。

そして雨の月曜日、車に乗り込もうとしたところ、車のボディにはこれでもかと言うほどの桜の花びらが付着しており、見事にピンクに染め上げられていたのである。

桜散らしの雨風は容赦なく桜に打ち付けられ、せっかくの満開がもう長くはない事を教えられた。

梅は春を予感させる花であり、桜は春の到来を告げる花である。

遅れに遅れて、やっと到来した春をあっという間に連れ去られてしまうような気持ちと、やっと来てくれた春をもっと味合わせてほしかったという心残りが、今の私の心を複雑にしている。

しかし、桜とは本来そういう花なのだ。

何処でだったか忘れたが、「葬春花」と書いて「さくら」と読ませる漫画を読んだ覚えがある。

その時は「ちょっと無理があるだろう。」と思ったものだが、この歳になって「つくづく上手く読ませたものだ。」と感心してしまう。

桜とはまさに花神の使いなのだ。

春の到来を告げるためだけに咲き、春が来た途端に花神のもとに帰って行く。

今年も桜が咲き、そして散っていく。

その姿に、人々に春の到来を告げるという大切な使命を帯びてこの世に生まれた桜へのオマージュを覚えずにはいられないのである。