折々の記 12

今年はうるう年

 

早いもので今年も2月が終わろうとしている。

今年は4年に一度の閏年ということもあってか、ほんの少しだけ得をしたような気持になる。

たった一日、されど一日。

この貴重な一日をどのように過ごすのかで、その人の人間性が見えてくる。・・・ような気がするのは私だけであろうか?

明日からは3月。いわゆる彼岸月である。

夜明けも少しづつではあるが早くなってきていることが分かる。

私は毎朝4時に起床している。

6時に釣鐘をつくのだが、2時間の間に本堂と地蔵堂、お内仏のお勤めを済ませ、山門を開けてラジオの時報を待つ。

先月まではまだ夜の闇としか思えなかった辺りの景色が、今朝見ると黒色から少し青みがかった空に変わってきており、少しずつ夜明けが早まっているのを感じることができた。

釣鐘の音が伝わっているからであろうか、時報とともに打つ鐘の音に合わせるように鐘楼から見える家々に明かりが灯ってゆくのが何とも嬉しい。

鐘の響きが生活の中の一部としてとけこんでいることを実感する。

こうして今日も普段と同じ一日が始まった。

恐らくは大多数の人にとって、例え4年に一度の2月29日であっても普段の生活と変わることはないであろう。

365日が366日になったとしても変わりようもないのが現実である。

しかし、今日のこの一日の中で出会う人がひょっとするとこれからの自分を大きく変えてくれるかも知れない。

・・・そんな運命の一日だったとしたら・・・。

こんなことはしていられない!

ワクワクを胸に、すぐに外へ出かけよう!

還暦を過ぎると、残された寿命がもうあまりない事を実感する。あと何回閏年を迎えられるだろう。

”朝露(ちょうろ)たちまち消え 電光すなはち過ぐ”

朝露は朝の陽光とともに消え、稲光は瞬間に過ぎてしまう。

どちらも人の命の儚さを述べた言葉であるが、この得をしたおまけの一日が自分にとって掛け替えのないものになってほしい。・・・そう願っている。