折々の記 5

縁・・・この不思議な出会い

今から2年半前のこと、一匹の犬が我が家にやってきた。

世間ではコロナ禍による緊急事態宣言が出されていた時の事である。

京都の「或る警察署」から電話があり、「保護犬を引き取ってもらえないか?」という。

話を伺うと、京都の山中をパトロールしていたお巡りさんが、よぼよぼと力なく歩いている一匹の犬を見つけ保護したとのこと。

見たところ何処かで飼われていたらしいのだが、飼えなくなったのであろうか、山の中に捨てられてしまい、何日も山中をさ迷っていたのか肋骨が見えるほどやせ衰えていたらしい。

問題は、この様なケースは犬といえども「拾得物扱い」にされてしまい、何日か過ぎると保健所に引き渡されることにある。

せっかく助かった命が失われてしまうのが、お巡りさんにとっても忍びなく、あちこちに問い合わせてみたものの引き取り手が見つからず、何処をどう回ったのか私のところに連絡が舞い込んだのである。

僧侶として、動物であっても命の重さには変わりはなく、何とか引き取ってあげようという思いと、はたして世話をしていけるのだろうかという自信の無さが心の中で葛藤し、家族との間で話し合った末に引き取ることになったのである。

5月の中頃、我が家にやってきたその犬は、一言でいえば「デカい!」。

獣医さんに言わせれば「中型犬」らしいのだが、体の色もこげ茶と黒が混ざり合った感じで、世間的に見ても流行りの犬とは大きくかけ離れているように思えた。

警察でいくら引き取り手を探しても、手を挙げる人がなかなか見つからなかったのも解る気がする。

我が家に来てしばらくは、やはり家族を警戒してか餌にもすぐに口をつけようとはしなかったが、少しづつ少しづつ、心を開いてくれるようになった。

早いものでそれから2年半、今では朝夕の散歩も尻尾をピンと立て、ギャロップ(?)でついてきてくれる。実に軽やかだ。

毎朝の犬小屋の掃除も家内と分担し、いつの間にか朝のスケジュールの一つとなってしまった。

そして何よりも、犬とのふれあいを楽しむ自分がいるのである。

カイと名付けられたオスの四国犬は、こうして我が家の家族となった。

最近、私はこんな風に考える。

この犬は、我が家にやって来るべく京都の山中に捨てられたのだと。

人間同士の縁も、人と動物の縁も、出会うべくして出会い、別れるべくして別れていくもの。

そんな世の中で、縁に気付かず通り過ぎてしまう人、縁に気付いてもそれを活かすことのできない人、袖触れ合う縁でさえも生かして行く人。

豊かな人生を送ることのできる人が一体どのカテゴリーに入るのかは言わずもがなであろう。

ただ、自分がこの歳になって来し方を振り返るに、残念ながら随分と多くの良縁を見逃してきてしまったように思えてならない。

まだ今からでも遅くはない、良き縁に気付き、それを活かせる人になれるよう心がけていくとするか。

一匹の犬との出会いがそんなことを私に気付かせてくれたのである。