折々の記 8

友遠方より集まる また嬉しからずや

 

今年最初の土曜日、久しぶりに大学の友人たちが集まった。

毎年この時期に同窓会を行ってはいるのだが、久しぶりに見る顔があるのはうれしい事である。

齢60を超えると、それぞれの顔に深く人生が刻まれてくる。

話題は健康や家族、子供、孫の事、そしてこれからの自分の仕事や終活の事にまで及び、それぞれに考えさせられることが多い。

そして改めて、自分がこの友人たちの輪の中に入ることができた事を幸せだと感じるのである。

「善き出会い」という縁は人生の中でそうそうあるものではない。

求めても得られるものではないだけに、料理を囲み酒盃を傾けながら、社会的立場を忘れて、「おい」、「おまえ」などと呼び捨てられる仲間は有難いものである。

そして、年齢とともに集まれる顔ぶれも少しずつ減ってくるのだ。

彼らの今の顔をしっかりと脳裏に焼き付けておこう。

学生時代、あれほど若々しく輝いていた彼らは、今は完熟期を迎え、己の人生の完成へ向かって歩いている。

誰も彼もがいい顔になってきたなと、ふと思う。

振り返り、自分はどうだろう?

少し焦りにも似た感情が頭を持ち上げるが、「いやいや、考えるのは止そう。」

自分の道は、自分にしか歩めない。

焦らず、慌てず、比較せず。

前をしっかり見て歩けば、歩いただけの道が後ろに繋がっていることだろう。

それを人生と呼ぶなら、自分の人生はそんなに悪くもなかったと思えるから。

願わくは集まった彼らに、健康とほんの細やかな幸せがあらんことを願いながら帰路に就いたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 7

晦日を前に

 

お寺というところは大晦日の前になると俄かに慌ただしくなる。

年越しの準備はもちろんのこと、年始の準備にも余念がない。

そして紅白歌合戦が終わる頃からの除夜の鐘。

毎年、お寺の役員様にお手伝いを願って、甘酒の供養も行っている。

冷え込みが厳しくなる夜半に、釣鐘をつくために大勢の方々が並んで下さるのだ。

少しでも冷えた体を温めていただこうと、もう随分前から続けている。

もちろん、除夜の鐘も百八つで足りるわけがなく、最後の方が帰られるまで私は釣鐘堂に立ち続けている。

そうして、そこでは本当に短い時間ではあるのだが、まさに一期一会の出会いが待っているのだ。

毎年来られる方、初めての方、はるばる外国からホームステイで来られている方等々。

僅か1分足らずの会話の中に、自分の思いを私に告げていかれるのだ。

私はその言葉をしっかりと受け止めるため、眼をそらさず聞き耳を立てる。

若い方は若いなりの思いを、年配の方は深く刻まれた人生の襞をわずかなひと時に伝えようとされるのである。

私は決して偉い人間でもなければ、カウンセラーでもない。ただ袈裟を身にまとっただけの普通の人間である。

そんな私に、最愛の家族との死別、会社の倒産、受験の苦しさ・・・様々なことを話され、鐘をついて帰って行かれるのである。

誰にも話せず心の中にしまい込んだものは、時としてその人の心身までも侵してしまうことにもなりかねない。そして本当は誰かに聞いて欲しくて仕方がないのだ。

見ず知らずの僧侶にこぼすことで心が少しでも軽くなるならそれも良し。

前にも書いたが、人間というものはどれほど叩きのめされようが、それでも顔を上げて前に歩いていかなくてはいけない。

その意味で、今までの自分と区切りをつけるために、大晦日という日に大勢の方がお寺にやって来られるのではなかろうか?・・・などと思ってみる。

一期一会・・・今年もまた区切りの日がやって来る。

さあ、今年はどんな出会いが待っているだろう?

少しワクワクしながらこれを書いている自分がいる。

 

 

 

 

 

折々の記 6

クリスマスの度に・・・

 

この時期になると、思い出すことがある。

僧侶になりたての頃の苦い思い出である。

12月25日の朝、お寺に一本の電話がかかってきた。

お葬式の依頼である。

師匠である父に頼まれ、御不幸のあったお宅に枕経に寄せていただいた。

府営住宅の一室に伺うと、玄関口に近くの方々が集まっておられ、早速中へと招じ入れられた。

二間しかない部屋の一室に布団が敷かれてあり、そこに一人の男性が寝かされていた。

隣の部屋にはその奥さんと思える女性と、まだ幼い兄妹がうつむいたまま座っていたことを今でもはっきりと覚えている。

玄関の隅には小さなツリーが置かれてあり、チカチカと点滅する灯りが余計に悲しさを演出していた。

亡くなられた男性はもちろんこの家の長であり、幼い兄妹の父親である。トラックの運転手をされていたとのことで、年末の慌ただしい時期に交通事故で亡くなられたのだという。

当寺の私はまだお寺に入って一年余り、これほどの悲しみの場に立ち会ったのも勿論初めてであった。

12月25日といえばクリスマス当日である。世の子供たちがサンタクロースからの贈り物に眼を輝かせているはずの朝、幼い二人に与えられたものは大好きな父親の死というこれ以上ない程の悲劇であった。

時とともにお通夜が終わり、葬儀も終わり、火葬場で最後の別れの時であった。

幼い二人は黙ったまま手を繋ぎ、釜の中へ消えて行く父親の棺をじっと見送っていたのである。

この時、私は今まで感じたことのない使命感を覚えた。

「この幼い兄妹に何か言葉をかけてあげなければいけない。」

・・・しかし、どれほど考えても何一つ言葉が浮かんではこなかった。

僧侶であるなら、こんな時にこそ何かかけてあげられる言葉があるはず。・・・しかしその時の私には何一つ言葉を見つけることができなかった。

この時ほど自分に腹立たしい思いをしたことはない。自分の不甲斐なさ、僧侶としての無力さ。

40年近くたった今でも、私はその時のことを片時も忘れたことはない。そして、今でもその時にかけてあげるべきだった言葉を探し続けている。

ただ救われるのは、この兄妹も今では立派に成人し、社会人として、そして親として、それぞれ頑張ってくれていることである。

私にとって、この時の苦い思い出こそが僧侶としての本当の出発点となった。

このことは、クリスマスにサンタクロースならぬ仏様が私に与えた大きな修行だったのだと思っている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 5

縁・・・この不思議な出会い

今から2年半前のこと、一匹の犬が我が家にやってきた。

世間ではコロナ禍による緊急事態宣言が出されていた時の事である。

京都の「或る警察署」から電話があり、「保護犬を引き取ってもらえないか?」という。

話を伺うと、京都の山中をパトロールしていたお巡りさんが、よぼよぼと力なく歩いている一匹の犬を見つけ保護したとのこと。

見たところ何処かで飼われていたらしいのだが、飼えなくなったのであろうか、山の中に捨てられてしまい、何日も山中をさ迷っていたのか肋骨が見えるほどやせ衰えていたらしい。

問題は、この様なケースは犬といえども「拾得物扱い」にされてしまい、何日か過ぎると保健所に引き渡されることにある。

せっかく助かった命が失われてしまうのが、お巡りさんにとっても忍びなく、あちこちに問い合わせてみたものの引き取り手が見つからず、何処をどう回ったのか私のところに連絡が舞い込んだのである。

僧侶として、動物であっても命の重さには変わりはなく、何とか引き取ってあげようという思いと、はたして世話をしていけるのだろうかという自信の無さが心の中で葛藤し、家族との間で話し合った末に引き取ることになったのである。

5月の中頃、我が家にやってきたその犬は、一言でいえば「デカい!」。

獣医さんに言わせれば「中型犬」らしいのだが、体の色もこげ茶と黒が混ざり合った感じで、世間的に見ても流行りの犬とは大きくかけ離れているように思えた。

警察でいくら引き取り手を探しても、手を挙げる人がなかなか見つからなかったのも解る気がする。

我が家に来てしばらくは、やはり家族を警戒してか餌にもすぐに口をつけようとはしなかったが、少しづつ少しづつ、心を開いてくれるようになった。

早いものでそれから2年半、今では朝夕の散歩も尻尾をピンと立て、ギャロップ(?)でついてきてくれる。実に軽やかだ。

毎朝の犬小屋の掃除も家内と分担し、いつの間にか朝のスケジュールの一つとなってしまった。

そして何よりも、犬とのふれあいを楽しむ自分がいるのである。

カイと名付けられたオスの四国犬は、こうして我が家の家族となった。

最近、私はこんな風に考える。

この犬は、我が家にやって来るべく京都の山中に捨てられたのだと。

人間同士の縁も、人と動物の縁も、出会うべくして出会い、別れるべくして別れていくもの。

そんな世の中で、縁に気付かず通り過ぎてしまう人、縁に気付いてもそれを活かすことのできない人、袖触れ合う縁でさえも生かして行く人。

豊かな人生を送ることのできる人が一体どのカテゴリーに入るのかは言わずもがなであろう。

ただ、自分がこの歳になって来し方を振り返るに、残念ながら随分と多くの良縁を見逃してきてしまったように思えてならない。

まだ今からでも遅くはない、良き縁に気付き、それを活かせる人になれるよう心がけていくとするか。

一匹の犬との出会いがそんなことを私に気付かせてくれたのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 4

生きていくということ

 

先日、あるお宅に寄せていただいた。

北陸にあるこのお宅に初めて寄せていただいたのは、もう6年ほど前になる。

大阪出身の方が、とある町で開業医をされておられたのだが、志半ばに病に倒れ、まだ30代だというのにお亡くなりになられたのだ。

連絡を頂いたのは12月上旬。

僧侶である私は、その方の弔いの為に車を走らせ、1泊2日でお通夜とお葬式に立たせていただいた。

葬儀の日は「この冬一番の寒気がやって来る」とのことで、朝には10センチを超える積雪となった。

車は冬用タイヤを履いてはいたものの、おっかなびっくりで葬儀場にたどり着いたのを覚えている。

そして私にとってこのお葬式は生涯忘れられないものとなった。

故人には二人の幼子がいた。

まだ小学生にもならない兄と幼稚園にも行かない妹である。

残された家族の悲しみもであるが、父親を失った悲しみを感じることもできない幼い兄妹の姿は、それ以上に参列者の涙を誘った。

私自身、二人の幼子に何と言って言葉をかけてよいか、いくら頭を捻っても言葉を見出すことができなかった。

それから満中陰、初盆、一周忌、三回忌と寄せていただいたが、二人の子供を抱え未亡人となられた奥さんは、日々の生活に追われながらも必死の思いで日々を過ごしてこられたことと思う。

三回忌から四年の月日が流れ、久しぶりに寄せていただいたこのお宅は、一階部分が診療所になっていたのだが、四年の間に診療所の看板が下ろされ、新しく音楽教室の看板に変わっていた。

何か予感するものを覚えながら、玄関から上がらせていただき、集まられた方々に挨拶をさせていただいた。

四年ぶりに見る子供たちは随分と大きくなり、ふと思いついて私のことを覚えているか尋ねたところ、残念ながら二人とも記憶にないと答えが返ってきた。

これは考えによっては幸せなことではないかと思う。

悲しみの最中に寄せていただいた私のことを覚えていないということは、父親の死という人生最大の悲しみの一つにもある意味悲しみを感じずにいられたということなのだから。

しかし逆に考えれば、大切な父親との思い出も記憶に残っていないのではないかともとれるのである。

これからこの兄妹にとっての父親探しが、少ない思い出の中で始まっていくのであろう。

ただ、兄妹の母の姿が以前に比べて随分と明るくなっていたことがうれしく思えた。

この六年という年月がどれほど大変であったか。しかし、それでも前を向いて歩みを進める彼女は、何かを乗り越えた・・・その様に見受けられた。

思った通り、架け替えられた看板は彼女のものだった。

学生時代に習ったピアノと声楽を活かして音楽教室を始めたのだという。

法要のあと私はその場の方々に、或る老僧から教えられたお話をした。

「人間というものは、生きている間に幾度も耐えられない苦しみや悲しみに遭うことがある。自分ではどうしようもなく、絶望に似た境遇に何もかも投げ出してしまいたくなる時がある。それでも、私たちは俯かず、前をしっかりと見て歩いていかなければならない。

歩きなさい。這ってでもいいから前に進みなさい。いつの日か必ず、陽の当たるところに立つことができます。

今お母さんは自分の足で立ち上がり、まっすぐに前を向いて歩き始められた。

まだまだこれからも大変なことが待ち受けていると思う。

それでも、前を向いて歩んで行くなら、いつの日にか今日という日を笑って振り返れる時が必ずやってきます。

私が次に寄せていただくのは、十三回忌である六年後です。その時に二人のお子様たちがどんなに立派に成長されているか、楽しみにしています。」

その場におられた方々もきっと私と同じ思いであったろうと思う。

人生というものは楽しい事よりも苦しく辛い事の方が多いように思う。だからこそこの世を「忍土」と呼ぶのである。

しかし、仏様という方はこの世で乗り越えられない苦しみを与えられるようなことは決して無い。

どんな時も顔を上げて歩んで行けば、再び笑い声に溢れた生活を取り戻せることができる。・・・私は、今は亡き老僧の言葉を大切にして生きていきたいと思うのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 3

近づく冬

 

山々の色がくすんできた。

今日は朝からどんよりとした曇り空。

時折り雨粒が落ちてくる。

天気予報も午後には本格的に雨と云う。

気温も上がらず、冷たい風を頬に受けると思わず服の襟を立ててしまう。

庭には桜やクヌギの落ち葉が風に運ばれてあちこちに散らばっている。

頑張って庭掃除をしたのは昨日まで。

こんな天気では外に出ようという気も起らない。

ただ、有難いことに冷たくなった風が私の代わりに庭掃除をしてくれているみたいだ。

気がつくと散らばっていた落ち葉たちが吹き溜まりになった場所に集められている。

仕方がない。雨が降り出す前に落ち葉を集めに行くとするか。

近年、冬を楽しむことが少なくなってきたように思う。

もちろんこれは私自身の反省。

若かりし頃はクリスマスや正月に胸を躍らせ、色々な計画や楽しみを持ったものなのだが、今は出かける事よりも体を休めることに頭を使っているようだ。

老いの始まりか・・・。

冬は寒いけれど、暖かさが心に沁みる季節だ。

ひと仕事終えたら買い物に出掛けよう。

今夜は鍋だ。

日本酒は辛口の熱燗で。

お気に入りのぐい飲みで一杯やりながら、鍋をつつくのも悪くない。

そういえばこれも冬の楽しみの一つだったな。

 

 

 

 

 

 

 

折々の記 2

青空に

磐船街道と呼ばれる街道は大阪府枚方市から奈良県王寺町を結ぶ国道168号線の一部である。

11月末から12月頭にあたる今の時期、この街道は美しい紅葉に包まれる。

とりわけ晴れ渡った日には青空に輝く光点が見て取ることができる。

街道が走る谷あいに風が集まり山の尾根に沿って吹き上げるとき、木々の枝から色付いた葉をもぎ取り、空高く巻き上げるのだ。

きれいに晴れ上がった空に、キラキラキラ・・・。

天空高く舞い上がった葉っぱは太陽の光を反射し、尾根沿いのハイキングコースでひと休みしながら見上げると、その不思議な美しさに時がたつのを忘れてしまいそうになる。

山々が美しくお洒落をする中、空から光のプレゼント。

本格的な冬へと向かうこの時期、自然からの今年最後の贈り物だ。

やがて木々は葉を落とし尽くし、山肌は墨を垂らしたような色あいへと姿を変える。

春が来るまでの数か月、山もしばしの眠り。

しかしその眠りは決して怠惰なものではない。

次の季節に向けて力を蓄えているのだ。

人生において同じ時期を迎えつつある自分にとって何とも励まされる光景である。

もちろん、人間にとって冬眠などはない。

せめて色付きつつあるわが身が天空高く舞い上がれるように、風をつかめる力を蓄えておこうか。