生きていくということ
先日、あるお宅に寄せていただいた。
北陸にあるこのお宅に初めて寄せていただいたのは、もう6年ほど前になる。
大阪出身の方が、とある町で開業医をされておられたのだが、志半ばに病に倒れ、まだ30代だというのにお亡くなりになられたのだ。
連絡を頂いたのは12月上旬。
僧侶である私は、その方の弔いの為に車を走らせ、1泊2日でお通夜とお葬式に立たせていただいた。
葬儀の日は「この冬一番の寒気がやって来る」とのことで、朝には10センチを超える積雪となった。
車は冬用タイヤを履いてはいたものの、おっかなびっくりで葬儀場にたどり着いたのを覚えている。
そして私にとってこのお葬式は生涯忘れられないものとなった。
故人には二人の幼子がいた。
まだ小学生にもならない兄と幼稚園にも行かない妹である。
残された家族の悲しみもであるが、父親を失った悲しみを感じることもできない幼い兄妹の姿は、それ以上に参列者の涙を誘った。
私自身、二人の幼子に何と言って言葉をかけてよいか、いくら頭を捻っても言葉を見出すことができなかった。
それから満中陰、初盆、一周忌、三回忌と寄せていただいたが、二人の子供を抱え未亡人となられた奥さんは、日々の生活に追われながらも必死の思いで日々を過ごしてこられたことと思う。
三回忌から四年の月日が流れ、久しぶりに寄せていただいたこのお宅は、一階部分が診療所になっていたのだが、四年の間に診療所の看板が下ろされ、新しく音楽教室の看板に変わっていた。
何か予感するものを覚えながら、玄関から上がらせていただき、集まられた方々に挨拶をさせていただいた。
四年ぶりに見る子供たちは随分と大きくなり、ふと思いついて私のことを覚えているか尋ねたところ、残念ながら二人とも記憶にないと答えが返ってきた。
これは考えによっては幸せなことではないかと思う。
悲しみの最中に寄せていただいた私のことを覚えていないということは、父親の死という人生最大の悲しみの一つにもある意味悲しみを感じずにいられたということなのだから。
しかし逆に考えれば、大切な父親との思い出も記憶に残っていないのではないかともとれるのである。
これからこの兄妹にとっての父親探しが、少ない思い出の中で始まっていくのであろう。
ただ、兄妹の母の姿が以前に比べて随分と明るくなっていたことがうれしく思えた。
この六年という年月がどれほど大変であったか。しかし、それでも前を向いて歩みを進める彼女は、何かを乗り越えた・・・その様に見受けられた。
思った通り、架け替えられた看板は彼女のものだった。
学生時代に習ったピアノと声楽を活かして音楽教室を始めたのだという。
法要のあと私はその場の方々に、或る老僧から教えられたお話をした。
「人間というものは、生きている間に幾度も耐えられない苦しみや悲しみに遭うことがある。自分ではどうしようもなく、絶望に似た境遇に何もかも投げ出してしまいたくなる時がある。それでも、私たちは俯かず、前をしっかりと見て歩いていかなければならない。
歩きなさい。這ってでもいいから前に進みなさい。いつの日か必ず、陽の当たるところに立つことができます。
今お母さんは自分の足で立ち上がり、まっすぐに前を向いて歩き始められた。
まだまだこれからも大変なことが待ち受けていると思う。
それでも、前を向いて歩んで行くなら、いつの日にか今日という日を笑って振り返れる時が必ずやってきます。
私が次に寄せていただくのは、十三回忌である六年後です。その時に二人のお子様たちがどんなに立派に成長されているか、楽しみにしています。」
その場におられた方々もきっと私と同じ思いであったろうと思う。
人生というものは楽しい事よりも苦しく辛い事の方が多いように思う。だからこそこの世を「忍土」と呼ぶのである。
しかし、仏様という方はこの世で乗り越えられない苦しみを与えられるようなことは決して無い。
どんな時も顔を上げて歩んで行けば、再び笑い声に溢れた生活を取り戻せることができる。・・・私は、今は亡き老僧の言葉を大切にして生きていきたいと思うのである。