折々の記 8

友遠方より集まる また嬉しからずや

 

今年最初の土曜日、久しぶりに大学の友人たちが集まった。

毎年この時期に同窓会を行ってはいるのだが、久しぶりに見る顔があるのはうれしい事である。

齢60を超えると、それぞれの顔に深く人生が刻まれてくる。

話題は健康や家族、子供、孫の事、そしてこれからの自分の仕事や終活の事にまで及び、それぞれに考えさせられることが多い。

そして改めて、自分がこの友人たちの輪の中に入ることができた事を幸せだと感じるのである。

「善き出会い」という縁は人生の中でそうそうあるものではない。

求めても得られるものではないだけに、料理を囲み酒盃を傾けながら、社会的立場を忘れて、「おい」、「おまえ」などと呼び捨てられる仲間は有難いものである。

そして、年齢とともに集まれる顔ぶれも少しずつ減ってくるのだ。

彼らの今の顔をしっかりと脳裏に焼き付けておこう。

学生時代、あれほど若々しく輝いていた彼らは、今は完熟期を迎え、己の人生の完成へ向かって歩いている。

誰も彼もがいい顔になってきたなと、ふと思う。

振り返り、自分はどうだろう?

少し焦りにも似た感情が頭を持ち上げるが、「いやいや、考えるのは止そう。」

自分の道は、自分にしか歩めない。

焦らず、慌てず、比較せず。

前をしっかり見て歩けば、歩いただけの道が後ろに繋がっていることだろう。

それを人生と呼ぶなら、自分の人生はそんなに悪くもなかったと思えるから。

願わくは集まった彼らに、健康とほんの細やかな幸せがあらんことを願いながら帰路に就いたのである。