折々の記 7

晦日を前に

 

お寺というところは大晦日の前になると俄かに慌ただしくなる。

年越しの準備はもちろんのこと、年始の準備にも余念がない。

そして紅白歌合戦が終わる頃からの除夜の鐘。

毎年、お寺の役員様にお手伝いを願って、甘酒の供養も行っている。

冷え込みが厳しくなる夜半に、釣鐘をつくために大勢の方々が並んで下さるのだ。

少しでも冷えた体を温めていただこうと、もう随分前から続けている。

もちろん、除夜の鐘も百八つで足りるわけがなく、最後の方が帰られるまで私は釣鐘堂に立ち続けている。

そうして、そこでは本当に短い時間ではあるのだが、まさに一期一会の出会いが待っているのだ。

毎年来られる方、初めての方、はるばる外国からホームステイで来られている方等々。

僅か1分足らずの会話の中に、自分の思いを私に告げていかれるのだ。

私はその言葉をしっかりと受け止めるため、眼をそらさず聞き耳を立てる。

若い方は若いなりの思いを、年配の方は深く刻まれた人生の襞をわずかなひと時に伝えようとされるのである。

私は決して偉い人間でもなければ、カウンセラーでもない。ただ袈裟を身にまとっただけの普通の人間である。

そんな私に、最愛の家族との死別、会社の倒産、受験の苦しさ・・・様々なことを話され、鐘をついて帰って行かれるのである。

誰にも話せず心の中にしまい込んだものは、時としてその人の心身までも侵してしまうことにもなりかねない。そして本当は誰かに聞いて欲しくて仕方がないのだ。

見ず知らずの僧侶にこぼすことで心が少しでも軽くなるならそれも良し。

前にも書いたが、人間というものはどれほど叩きのめされようが、それでも顔を上げて前に歩いていかなくてはいけない。

その意味で、今までの自分と区切りをつけるために、大晦日という日に大勢の方がお寺にやって来られるのではなかろうか?・・・などと思ってみる。

一期一会・・・今年もまた区切りの日がやって来る。

さあ、今年はどんな出会いが待っているだろう?

少しワクワクしながらこれを書いている自分がいる。